良い習慣は努力が必要で、悪い習慣は馴れる
良い習慣は努力が必要で、悪い習慣は馴れる
なんとも、厳しい言葉です。
易経の「坤為地(こんいち)」
と言う。地、大地の大自然の
話の中に、出てくる言葉になります。
大地、大自然の一部である、
私達人間は、良い習慣を
身につける為に努力します。
「何か、努力していますか?」
「何か、継続されていますか?」
と質問されると、手前味噌になりますが、
具体的な私の習慣としているのは、朝5時30分に起きて、
神棚、台所の神棚、仏壇の水やお茶のお供物を替えて
お祈りをし、約5kmのランニングをしてシャワーを
浴びて、朝食を取りながら朝刊を読む。
これを毎日の習慣として行こうと2年前から始めますが、
やはり朝起きて、雨が降っていたら、今日は止めておこう
となったり、昨日飲み過ぎたから、今日は、、となったりと
自分に言い訳を作りながら、休む時もあります。
しかしながら、何とか、続けようと、努力する。
一方で、書物の中に出てくる悪い習慣という例で出て
くるのは、浮気や、子供の万引きの話、
一度目は、ドキドキとしてするが、二回目、三回目となると、
馴れてくる。ドキドキもしなくなってくる。この馴れです。
陽の道は努力をして成し遂げるという、志がなければ、
できません。しかし陰の道は、馴れればできる。
これを「馴致(じゅんち)」と言う。
大自然の教えの中では、これを、「霜を履みて堅氷至る。」
と表現されます。
秋の遅い時、早朝、冬が近づいてきて、外に出たら霜が
降っていた。うっすらと降っている。霜は、フッと吹いたら、
消えます。踏んだらきれいに溶けてなくなります。
そんな、霜が積もり、やがて厚い氷になると言っています。
最初の霜が降りた時に気づかなく、二回目、三回目も
気づかずにいると堅氷に近づく。この霜を「兆し」として
気づき、行動を改めると変われるが、そのままだと
やがて馴れてしまうよと教えています。
「兆し(きざし)」から始まり、二回目、三回目と
ありますが、その別の言い方として、
「漸(ぜん)」「漸く(ようやく)」と言う表現があります。
「漸の時がある」一歩一歩、ほんの少しずつ成長する、
陽にも陰にも、結果が、良い事としても、悪い事としても、
一朝一夕には、そうならない。
最初に「兆し」があり、そして、ゆっくりと、ゆっくりと進み、変化し、
「漸く」このように、知らぬ間に結果としてこのようになる。
具体例として、山の木をあげると、
山の上の大きな木は、毎日、毎日見ていても、どれほど
木が伸びたかは、全然わかりませんが、何年か経って、
ある時に見ると大きく成長している。
これを「漸の時」。ゆっくりとゆっくりと時間が経過している。
良い事も、悪いことも、日々の積み重ねです。
私が斎主を務める神前結婚式において、時に、新郎新婦へ
色紙を記念にお渡しする場合があります。
何枚か書かせて頂いたのが、この「坤為地」の話に
出てくる言葉の
「積善(せきぜん)の家には、必ず余慶(よけい)有り」です。
私の大好きな言葉で、
「日々、善い(よい)事を行い。
その行いを積み重ねると、
必ず、沢山の余りある慶び事が、訪れるよ。」
と言う教えです。
漆職人が、器に何層も何層も、漆を塗るように、
薄い、薄い漆しですが、それを何層も何層も重ねて
塗ることで、とても強い器、美しい器となり、
永く使用出來るように、
毎日、毎日の生活の中で、良い事を人が喜ぶ善い事を、積み重ねて
人間として、成長したいですね。
また、家として、自分とパートナーと一緒に
善い事を積み重ねて、大きな慶び事を味わいたいですね。
皆さん、一緒に良い習慣を努力して続けて行きましょう!