高田好胤先生の『母』 父母恩重経
高田好胤先生は、元薬師寺管主。
好胤さんの『母』を読んだ。
「父母恩重経」を、好胤先生の
関わった新郎新婦には、いつも
渡していたという。
三々五々のご先祖様
『私たちはみんな、お父様お母様から
生まれてきました。お父様お母様もまた
ご両親から生まれてこられました。こうして二十五代
(仮に一世代三十年とすると750年)さかのぼると
私たちのご先祖の数は、3355万4432人。に
なります。それが二十八代になると、2億6800万人』
自分の生命は、自分だけの生命だと思うのは、
現代人のとんでもない思い上がりであります。
大変多くのご先祖様の喜び、悲しみ、その他諸々の
精神的、肉体的経験が、私達一人一人の血の中に流れて
そのお陰で私達は生かせていただいているのです。
ご先祖に対する私達の先祖孝行の道が、『まつりごと』であります。
一番身近なご先祖様である、お父様・お母様に対して、感謝と誠を
捧げる姿が、「親孝行」であります。
二宮尊徳翁の歌に
父母も またその父母(ちちはは)も われなりき
われを愛せよ われを敬せよ
ご先祖を敬愛することは、実は自分自身を敬愛していることになる
ご先祖に対する「先祖孝行」が、「子孫孝行」にもつながる!!
まさに子孫八十続き(うみのこのやそつづき)に至るまでであります。
明治天皇御製に
たらちねの 親につかえて まめなるは
人の誠の はじめなりけり
「まめ」は、心の真面目、からだの真面目、心の健康、身体の健康
「まめ」は、誠実というまじめから出ている言葉
「たらちね」という母や、父、親に掛かる枕詞と昔学校で
習った覚えがありますが、この50歳になり、母を亡くして
から「たらちね」という言葉にすごく愛情、母のものすごく
温かい愛を感じます。漢字では、「垂乳根」と書き
母親のお乳は子供を生んでその子供に乳をふくませると
だんだん形がくずれてくる。娘時代にはそれは美しい形をして
いたけれども、子供を生んで育てると共に垂れ下がって形を
くずれてます。そのお乳の形から「垂乳根」という。
母の愛を感じます。
先日、家内が出張で、私と三男の二人で夜を探しました
いつもは、夫婦で布団を二つ敷いて寝ている、家内の布団に
三男が寝ました、その寝顔が可愛いこと。
久しぶりに、ぼーと寝顔を見ました。
何もしゃべらない、寝息だけを聞きながら、見ているだけで
幸せに感じました。あんなに小さかったのが、こんなに大きくなって
と感謝したり、あっ!と思いだしたのが、やはり母のことでした
12年と3カ月前、夏休みの8月のお盆の日、
母が他界する、ちょうど3か月前に、父母と内の家族、妹家族、弟家族で
生駒山の温泉付ホテルに泊まりに行った際、こども達が皆小さいことも
あり、それぞれのパートナーがその子供を寝かしつける部屋と、
父、母、私、妹、弟の川辺家の純粋な水入らずの部屋の
状態になっていました。
夜中深夜2時頃、なんか目線を感じると思いながら
私一人目が覚めて起きた時。
母一人が、部屋の椅子に座り、じーーと私達兄妹弟を見ていたのです。
「どうしたん!!!」と言った私に、
「よーーこんなけ、子供、生んで育てたなーーとおもてな。。。」と母。
あの夜中の母の気持ちを三男の寝顔を見ていた時に思い出しました。
子供の寝顔は、最高に親として幸せな時間なのかもしれません。
まだ、元気でいてくれている父、そして家内の父母に是非とも出来る限りの
親孝行をしたいと思います。