やまと言葉

先般の「祝詞作文」の授業の中において、やまと言葉の美しさ

そしてその美しいやまと言葉から「言霊(ことだま)」を感じる。

 

神主は、自分の「心」とこの「言霊」を合わせて

文章にして 思いを祝詞にする。その祝詞は、

神まつりにおいてこそ、ご神威と関わって「言霊」が発揚する

 

柿本人麻呂が、遣唐使が出発する際に詠んだ歌(『万葉集』より)

葦原の瑞穂の国は神ながら事挙げせぬ国

然れども辞挙ぞ吾がする 言幸くま幸くませと

恙無く 福(さき)くいまさば 荒磯浪(ありそなみ)ありても見むと

百重波(ももへなみ) 千重浪(ちへなみ)しきに

言上げす吾は 言上げす吾は

 

(訳)神代の慣例に従って「辞挙」(言葉に出して言ひ立てること)

   はしない国、しかし私は言葉のとほり、無事でありますように

   無事でありますようにと言挙げします。

 

やまと言葉は、とても美麗しい(うるわしい)言葉です。

この言葉は、

「力を入れずして天地を動かし、

目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ

男女のなかをやわらげ、

猛き武士の心もなぐさめる。」

これが、やまと言葉です。