大阪 住吉大社の参拝方法(母より)

大阪の住吉大社に参拝に行く。先日お参りに

住吉大社太鼓橋と常夜灯と松

行くことを話したら、面白い!!と言われた

それは、小さい頃から私が普通に母と住吉大社に

参拝に行っていた方法。

今日は、私が母と行っていた時の、住吉大社の参拝方法

をまとめてみたいと思います。

その前に住吉大社について、まとめてみると

奈良時代に編纂された『摂津国風土記』には、

昔、息長足比売(おきながたらしひめ

:神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を

探し求めて天下を巡りこの地

住吉に至った時、これぞ、まことに住むべき国なり、といい

『真住み吉し、住吉の国』といって神の地と定めた」と住吉と呼ばれた由縁が書かれています。

住吉は古代より海上交通・外交のための港と、

海上守護をつかさどる住吉大社を

中心に栄えました。上町台地の南寄りに位置し、

西側は北方にくらべ急な崖が少なく

住吉大社の南にあった細江川(細井川)の河口の入江が、

「住吉の津」でありました。

自然美あふれる素晴らしいところで、行楽をかねて

参詣に訪れる公家や文化人が、この地で和歌を詠み、

万葉集にも「あれれ打つ あられ松原 住吉の 

弟日娘(おとひをとめ)と見れど 飽かぬかも」

という歌が残されています。

また、結婚式などの芽出度い場で良く歌われる

謡曲『高砂』には

住吉(住の江:住吉の岸)が出てきます。

高砂や この浦舟に 帆を上げて

この浦舟に 帆を上げて

月もろともに 出汐(いでしお)の

波の淡路の島影や

遠く鳴尾の沖過ぎて

はやすみのえに 着きにけり

はやすみのえに 着きにけり

そんな昔から信仰篤い場所 住吉大社の参拝方法は、

私は、大阪の谷町の出身ですので、まず天王寺に行き

ちんちん電車(路面電車)に乗り換え、住吉大社前駅に行きます、、

手には、

〇 ワンカップ大関(100ml)を15個

〇 お供えのお菓子(個包装のもの15個以上)

〇 ワンカップをお供えした後に入れる水筒

  (1500cc以上)

まず、駅についたら、真っすぐに参道を歩き、太鼓橋まで

太鼓橋を渡り、手水舎に到着。手を清め。

鳥居をくぐります。

まずは、第三本宮様、次に第四本宮様、第二本宮様

そして第一本宮様といつも回っていました

住吉大社の第一本宮様は、底筒男命(そこつつのおのみこと)

第二本宮様は、中筒男命(なかつつのおのみこと)

第三本宮様は、表筒男命(うわつつのおのみこと)

第四本宮様は、神功皇后(じんぐうこうごう)

が、それぞれ祀られておられます、この底、中、表筒男命

は、全て古事記の中では、伊邪那岐大神が黄泉の世から

返り、禊をした際に誕生された大神になります。

また、お社の作りは、「住吉造」と言われ、色使いは、黒を

基調にしているから暗く感じますが、素晴らしく美しく、

空間の全てを清める清々しい空間の境内です。

お社の宮の扉は金箔が貼られ煌びやかです。

屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)で出来ています。

お賽銭箱の近くに、ワンカップとお菓子をお供えして

お祈りします。母は、いつも「おんしろしめし」を七回

言うねんで。と言うのが、口癖でした。

お参りが終わってから、ワンカップから水筒に御神酒を

入替、お菓子を集めて、これが私の仕事で、次に次に

と回ります。

第一本宮様のお参りが済むと、右手にすすみ、石舞台の

横を通り、千年楠さんの見える塀まで来て、同じくお供えと

お参りをします。

そこから、さらに、南にある門をくぐりいったん神社外に出ます

南東にある鳥居を抜けて、住吉大社の摂社浅沢神社、そして大歳神社

同じ境内にある、おもどりおいとしぼしさん三輪さんの四社回ります。

終わりましたら、ふただび、住吉大社へ戻ります。

石舞台の横を再度、通りぬけ、右に曲がると、若宮社五大力社

海龍社、そして母が大好きだった、楠珺社、ここでは、別途母は、

初穂料を治めて、「招福猫」をもらうのです。奇数月は、左手

左手の猫は、「人を招き」、偶数月は、右手を挙げている小猫

の焼物、右手は「お金を招き」と言われています。48体集まると、

満願成就として大きい招福猫に交換してくれます。

内の実家には、かなりの数があります。大きいのも、小さいのも

楠珺社、妹に良い縁が来ますようにと、念じて良く母は、この回りを

一周していました。

続いて、くすりの神さんの社、そして、最後は、皇大神宮の遙拝できる社

全て、十五社をだいたい1時間30分から2時間かけて回つていました。

回りながら、色んな話をしてくれました。

懐かしく、先日は、一人で回りました。

住吉大社の隅から隅まで歩く感じがして、すごく良いです。

父は、最近一人で住吉大社に参拝に行き、数年前に新しくお社が出来た

種貸社さんも参拝に好んで行きます。

相撲の土俵があるところの前のお社です。

その土俵脇を通り、太鼓橋に戻る前に、

池沿いに、島津藩の家紋ついた、お社があります。

源頼朝の子を身籠った丹後局は、鎌倉から逃げて、

この地で、島津忠久を出産したと言われている場所があります。

丹後局が出産する際に抱き着いた大石が、今も残されて

います。

なんとも、奈良時代から、鎌倉時代、と伝説の残る

住吉大社、私と母が良くお参りに行っていたのは、昭和50年代

~平成元年~平成18年母が他界する前まで、懐かしの神社です

住吉大社、本当に良い神社です。