大阪 住吉大社の参拝方法(母より)
大阪の住吉大社に参拝に行く。先日お参りに
![住吉大社太鼓橋と常夜灯と松](https://www.bua.jp/contents/wp-content/uploads/2023/04/e3b8fd4486e02021add08bd435ffcf40.jpg)
行くことを話したら、面白い!!と言われた
それは、小さい頃から私が普通に母と住吉大社に
参拝に行っていた方法。
今日は、私が母と行っていた時の、住吉大社の参拝方法
をまとめてみたいと思います。
その前に住吉大社について、まとめてみると
奈良時代に編纂された『摂津国風土記』には、
「昔、息長足比売(おきながたらしひめ
:神功皇后)の世に住吉の大神が出現して住むべき国を
探し求めて天下を巡りこの地
住吉に至った時、これぞ、まことに住むべき国なり、といい
『真住み吉し、住吉の国』といって神の地と定めた」と住吉と呼ばれた由縁が書かれています。
住吉は古代より海上交通・外交のための港と、
海上守護をつかさどる住吉大社を
中心に栄えました。上町台地の南寄りに位置し、
西側は北方にくらべ急な崖が少なく
住吉大社の南にあった細江川(細井川)の河口の入江が、
「住吉の津」でありました。
自然美あふれる素晴らしいところで、行楽をかねて
参詣に訪れる公家や文化人が、この地で和歌を詠み、
万葉集にも「あれれ打つ あられ松原 住吉の
弟日娘(おとひをとめ)と見れど 飽かぬかも」
という歌が残されています。
また、結婚式などの芽出度い場で良く歌われる、
謡曲『高砂』には、
住吉(住の江:住吉の岸)が出てきます。
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に 帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
そんな昔から信仰篤い場所 住吉大社の参拝方法は、
私は、大阪の谷町の出身ですので、まず天王寺に行き
ちんちん電車(路面電車)に乗り換え、住吉大社前駅に行きます、、
手には、
〇 ワンカップ大関(100ml)を15個と
〇 お供えのお菓子(個包装のもの15個以上)
〇 ワンカップをお供えした後に入れる水筒
(1500cc以上)
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まず、駅についたら、真っすぐに参道を歩き、太鼓橋まで
太鼓橋を渡り、手水舎に到着。手を清め。
鳥居をくぐります。
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まずは、第三本宮様、次に第四本宮様、第二本宮様
そして第一本宮様といつも回っていました。
住吉大社の第一本宮様は、底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮様は、中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮様は、表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮様は、神功皇后(じんぐうこうごう)
が、それぞれ祀られておられます、この底、中、表筒男命
は、全て古事記の中では、伊邪那岐大神が黄泉の世から
返り、禊をした際に誕生された大神になります。
また、お社の作りは、「住吉造」と言われ、色使いは、黒を
基調にしているから暗く感じますが、素晴らしく美しく、
空間の全てを清める清々しい空間の境内です。
お社の宮の扉は金箔が貼られ煌びやかです。
屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)で出来ています。
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お賽銭箱の近くに、ワンカップとお菓子をお供えして
お祈りします。母は、いつも「おんしろしめし」を七回
言うねんで。と言うのが、口癖でした。
お参りが終わってから、ワンカップから水筒に御神酒を
入替、お菓子を集めて、これが私の仕事で、次に次に
と回ります。
第一本宮様のお参りが済むと、右手にすすみ、石舞台の
横を通り、千年楠さんの見える塀まで来て、同じくお供えと
お参りをします。
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そこから、さらに、南にある門をくぐりいったん神社外に出ます
南東にある鳥居を抜けて、住吉大社の摂社浅沢神社、そして大歳神社
同じ境内にある、おもどりおいとしぼしさん、三輪さんの四社回ります。
終わりましたら、ふただび、住吉大社へ戻ります。
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石舞台の横を再度、通りぬけ、右に曲がると、若宮社、五大力社、
海龍社、そして母が大好きだった、楠珺社、ここでは、別途母は、
初穂料を治めて、「招福猫」をもらうのです。奇数月は、左手、
左手の猫は、「人を招き」、偶数月は、右手を挙げている小猫
の焼物、右手は「お金を招き」と言われています。48体集まると、
満願成就として大きい招福猫に交換してくれます。
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内の実家には、かなりの数があります。大きいのも、小さいのも
楠珺社、妹に良い縁が来ますようにと、念じて良く母は、この回りを
一周していました。
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続いて、くすりの神さんの社、そして、最後は、皇大神宮の遙拝できる社
全て、十五社をだいたい1時間30分から2時間かけて回つていました。
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回りながら、色んな話をしてくれました。
懐かしく、先日は、一人で回りました。
住吉大社の隅から隅まで歩く感じがして、すごく良いです。
父は、最近一人で住吉大社に参拝に行き、数年前に新しくお社が出来た
種貸社さんも参拝に好んで行きます。
相撲の土俵があるところの前のお社です。
その土俵脇を通り、太鼓橋に戻る前に、
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池沿いに、島津藩の家紋ついた、お社があります。
源頼朝の子を身籠った丹後局は、鎌倉から逃げて、
この地で、島津忠久を出産したと言われている場所があります。
丹後局が出産する際に抱き着いた大石が、今も残されて
います。
なんとも、奈良時代から、鎌倉時代、と伝説の残る
住吉大社、私と母が良くお参りに行っていたのは、昭和50年代
~平成元年~平成18年母が他界する前まで、懐かしの神社です
住吉大社、本当に良い神社です。