心は理である、その三

心は理である、その三に来ました。今日も陽明学=心学の勉強をします。

「人の心は虚(きょ)であり何もないが、霊妙な働きがあって明るく、万事万物の理を具え、あらゆる事を為す源泉である。それゆえに心外に理なく、心外に事はない」

「虚霊不昧(きょれいふまい)、

衆理(しゅうり)具わって万事出ず。

心外に理なく、心外に事なし」

人の心、天、神から授かった、人間の心を、

欲に曇ることなく、鏡のようにすべての物事を

明らかに映すほど、本当に純粋にできれば、

その働きの霊妙にしてかつ明るい知力のある

ことを知る。

「虚霊」とは、虚にして霊なること。

「不昧」とは、昏く(くらく)ない、明るいこと。

その昏くなく明るいとは、心が明鏡の如く磨かれた

状態をいう。心が明鏡の如くならば、すべての物を

ありのままに映し出す。善は善、悪は悪。

これが、心の神秘的霊的な知力、すなわち『虚霊不昧』です。

かりに人を欺く(あざむく)ことはできても、

自分の心まで欺くことはできない。だれもが心の明鏡

を持っているからです。これを『良心』という。

これを陽明学では、『良知』と言う。

人は己の心の良知を決して欺くことはできない。

そのあとの「衆理」の「理」とは、道理とか理法の

ことです。

広義には宇宙自然をあらしめている理法のこと。

人の心はこの理を具えており、かつまた万物の理も

同じだから、わが心を知れば万事万物に通ずる。

よって衆理具わって万事出ず。

あらゆる物事の道理は、わが心に具わっており、

すべてわが心の認識である。よって心から「万事出ず」

以上の三回にわたり、「心即理」の話を本の言葉を

引用しながら、自分の勉強を兼ねてまとめて来ました。

陽明学で言う中において、「心即理」であり、

その今回の三回目に出てきた、  

虚霊不昧、衆理具わって万事出ず」は、

凄い!!言葉ですね。         

虚霊不昧」の言葉において、人がその己の心と

向かい合う方法として、日本人には、神棚が

あるのだと思います。自分自身の空間を

自宅の神棚の前に作り、その神棚の神鏡に自分の心を

合わせ向きあい、朝晩に修祓、心を静め、

祓いを行い、使命を考え聞くことがとても大事であり、

その各自の心の中には、必ず答えがあり、

その答えのままに、実行に移すことが、目標を持ち、

志を立てて、自分の人生を歩んでいくことが、

とても大事に考えます。