「中(ちゅう)」とは時に随い適切なこと

節分

「中(ちゅう)」とは、中を執る=中庸を執る

と言う意味です。

易経の勉強をしていると、「中」を執る「中庸」を

執るとよく出てきます。簡単に説明するとしたら、

中和させることになりますが、物事の変化に中和

と言う表現は、余計にややこしい。

人生と言うのは、良い時もあり、悪い時もある、

それを易経の中には、64パターンに分類しさらに

その時においても、6種類の位置があります。

64×6=384種類の時、そのどの時に今あなた

は、居てる。だから、この位置にいてる場合は、

この様に、準備としての心構えをして、考え方

にいると、動ずることなく、「よしこう来たら、

このように対処しよう」と冷静に行動に移せる。

その来るであろう、また向かってきている自分の

位置を易で大きく、俯瞰的に知って一年間の

時流を過ごしていく

その易の一年のスタートは、まさに、

今日2月3日です!!

中は、天理にほかならない、それは易ということだ。」

この言葉の通り、中という、ことを安定と

目指し、時に随い適切にする。ある意味、

マニュアル化である現代でありながら、

『臨機応変に変化をする』

『臨機応変の処置を執って、千変万化に対処する』

「中」は宇宙が開闢(かいびゃく)されて以来の

万物創造の妙法であり、「中」だからこそ宇宙自然は

変化して自在であり、自在だからよく永遠性を保って

きました。

人もこの法則を探求し、その法則を弁え、

これに従いゆくよう努めれば何事も滞ることは

なく、永続を保つのだと、陽明学は言っている。