安心(あんじん)なき安心(あんじん)
今日の研修の心に残った言葉を書き記す。
写真は、研修前の雨の日に撮影した外宮のなります。
安心(あんじん)なき安心(あんじん)
これは、本居宣長の『答問録』に出て来る言葉。
弟子から、生死観を質問されて、宣長の答え
であります。
「死」は、人間においてこれほど、悲しい事は無い。
儒教や仏教の言う「極楽浄土」や「昇天」「輪廻転生」
は、人間の賢しら心によって作り出されたもの
「死」とそのまま全身で直面すること、これこそが
「神道に生きる」ことだと説きました。
一.世中は、何事もみな神のしわざに候。
是、第一の安心に候。
二.まづ下たる者は、ただ上より定め給ふ制法の
まま受て、其如く守り、人のあるべきかぎりの
わざをして、世をわたり候より外候はねば、
別に安心はすこしもいらなぬ事に候。
三.神道の此安心は、人は死後候へば、善人も悪人
もおしなべて皆よみの国へ行事に候。
善人とてよき所へ生れ候事はなく候。
四.よみの国は、きたなくあしき所に候へ共
死ぬれば、必ゆかねばならぬ事に候故に、
此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也。
然るに儒や佛は、さばかり至てかなしき事を
かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈
を申すは、眞實の道にあらざる事、明らけし。
ここまで、ずばり、書かれ、言い切られると、
すっきりとします。
「死」と言うのは、誰にでも訪れるのであって、それを
理解して、今をどのように精一杯生きるのかが大切に
考えます。
自分としっかりと向きあい、使命を感じ取り、天命と確信して
その天命と確信した自分を信じて、しっかりと歩んでいきたいです。
限られた時間。日々を大切に一歩一歩階段を上りたいです。