子供に伝えたい3つのことーその3

子供に伝えたい3つのこととして、書いてみた

ものの、書きながら、自分の未熟さを感じる。

恥ずかしながら書きました、読んで下さい。

実家に昔からある額『喜神抱』

その3は、『喜神を抱く』です。

「喜神を抱く」と言う言葉は、実家の額の言葉で母が大事にしていた言葉です。

永年、眺めて育ったこともあり、この年になっても良い言葉だなと思います。

神や仏の縁は、両親や祖父母から本当に引き継がれて来た大切な縁だと思います。

今日は、9月23日秋分の日、お墓参りの日ですね。

川辺家のお墓参りは、ルーテインがあります。

年末やお盆の時に、家族でお墓参りに行き、①墓の周りの雑草を抜き、

②墓石を丁寧に洗い流す。③その掃除の後に父が付けた線香を

墓石の前に立てて、父、母、兄妹弟弟と順に手を合わせていく、

④それぞれが思い思いに手を合わせて一年の感謝と来年の抱負を

ご先祖に誓う。

川辺の墓には、戦争で亡くなった大叔父の墓石も並んでおり、

先祖代々の墓の後は、そちらの前で手を合わす。

賀茂神社

先日、近江カントリーと言うゴルフ場に

行きました。ゴルフの後、ここまで来た

のだから以前、勉強会でご挨拶をさせて

頂いた賀茂神社の岡田能正禰宜さんに

ご挨拶に行こう!と思い立ち車を走ら

せました。

初めて見る、滋賀、近江の地は、素晴らしい風景でした。近江富士がまた美しい、田圃風景を横に車を走らせて、賀茂神社さんに参拝に行きました。なんと!偶然にも、岡田禰宜様にご挨拶が出来ました。

せっかくだから、境内の大切な『社』を

ご案内しますと、境内の御本殿奥にある、

結界が張られた土の丘のような場所に連れて

行って下さいました。

「ここは、平安時代聖武天皇の命で、

私のご先祖である吉備真備(きびのまきび)

が作った日本の陰陽道の中心地

『祭祀跡祈りの齋庭』になります。

この結界の周りを一回りしながら、

感じて下さい。

感じたことが、あなたの後ろで、

あなたを見守ってくれている

ご先祖さんの考えです。」と

教えて下さいました。

『社』と聞くと、私達は、建物を思いますが、実は、

この右側は「土」それが、この丘で神々がおられる場所、

左側の「示」は、お供え物を意味します。

齋庭は、神々のいるこの丘にお供え物をしてお祀りした場所になります。

そんな話をして下さり。禰宜さんは、社務所に戻られました。

私は、一人感じるままに歩いてみようと歩いてみると、

自分の長男を思い出し、次男をそして三男を思いだし。

昔、18歳~24歳頃、よく母と大阪の住吉大社に参拝に行った際に、

「徹、待っててや。」と

母が、はや足で、『楠珺社』のお社の周りを一周していた風景が頭に浮かんで来ました。

あああ! 私は、このような有難い場所に来ると、神様は、私の事を

教えてくださるのかな?と考え期待していたが、、、

何と! 私は、父親として、これからの成長していく、息子達三人の事を

しっかりと祈願して、もっと祈願して、母親が私達兄弟妹にしてくれた様に、

『自分たちの子供たちの事を祈る。』

親、ご先祖がしてくれたように、子孫にする番になったのだ」

と感じました。

岡田禰宜さんに伝えると、素晴らしい!ご先祖さんからの気持ち、

感じ取れましたね。とご教授頂きました。感謝です。

岡田禰宜様にご挨拶の後、、

賀茂神社さん参拝の後、近江と言えば

お参りしないと、いけない神社。

乃木希典(のぎまれすけ)大将ゆかりの

神社、沙沙貴神社さん。

そこに、乃木大将のお言葉の碑があります。

乃木将軍のお言葉

私は沙沙貴神社に度々参詣するが、

この神社には私のお祖父さん

その又お祖父さん

まだずっと先のお祖父さんが祭ってある。

この村の方々

皆さんのお父さんやお兄さんは、

お宮の祭りを盛んにしてくださるので

私は非常に喜んでいる。

吾々人間は祖先が本である。

その本を忘れてはならぬ。

本乱れて末治まるものではない。

祖先の大恩忘れるようではだめである。

是非祖先をうやまうようにしてほしいと

この爺が言ったと、よく覚えて貰いたい。

これは、明治39年6月28日に神社に参拝をされて、

松を手植えされ、そのあと、近くの安土小学校に立ち寄られて、

児童にお話しされた言葉です。

「祖先をうやまう心、本乱れて末治まるものではない。」

胸が熱くなります。

こどもへの言葉と書いておきながら、結局は

自分の未熟さを自分自身で感じ、反省をしております。

今後とも、子供と共に成長して参ります。